夕日

 アトピーの症状に悩んでいたフレンズ・オブ・アサンガのタマシは99年1月、アユルベーダの治療を受けるべくインドはプーナにある病院に入院しました。以下はその貴重な体験記です。




3月9日up
「健康」とは何か
健康とは何か。「何だ、簡単な事じゃない。」そういわれる人も多いと思います。けれども、その意味を大きく取り違えていた私にとってはその意味を自覚することは大切なことでした。
物心ついた頃から世の中を斜に構えてみていた私は、30前には死んでしまおうと常に思い、自暴自棄の生活をしていました。そして自分でそう決めたようにその年の頃にはもう自分の人生終わりだ、と思うことが起きていました。
けれども、そう思っていたのは、「何かが違う、人が生きるってこんなことじゃない」と強く思うその裏返しでした。 「もう私は終わりだ、もうこんな生活はいやだ。生まれ変わりたい。」そう思っていたとき、生まれ変わるチャンスがやってきました。スピリチャルなものに出会い、和尚に出会いました。その和尚を私に伝えてくれたのが、アサンガでした。  
それでも私は、精神が健康であればそれでいい、と勝手に思いこんでいました。その後何年もの経験からやっと、体が健康でなければ精神や霊的な健康さも限界があることに気づかされました。この世に肉体を持って生まれたときから、この生を充分に生きていくためにはどちらもそれを支え合っていかなければならないものだということにやっと気づくとことができました。
健康であること、私にとってそれは自分の持つ最大限の可能性を広げてゆくために大切な土壌だと思っています。

アーユルヴェーダ・サダナンダ先生との出会い
 私がサダナンダ先生のことを知ったのは、アサンガからの紹介でした。昨年の春、瞑想グループを日本各地で開催するために来日していたアサンガが、帰国直前になって肩をこわしてしまいました。その時彼はおもむろにどこかへ電話をかけはじめました。どうしたのだろうと思い、訊ねてみると「インドにいるかかりつけの医者に電話をしたんだ。体の調子が悪いときは、世界中どこにいてもこうしてアドバイスをもらっているんだ。」ということでした。  
「来月彼が日本に来るから、その時に会ってみるといい。私は彼の亡くなった父親の代からかかりつけとして診てもらっているが、父親はとてもスピリチャルな人で、脈をみると何でもわかるし、音楽の才能も秀でていてそのうえ馬とも話が出来たんだ。彼はグル(導師)としてたくさんの弟子を持ちマハラジュ(大聖)と呼ばれ、亡くなる時サマディに入ってその時を迎えたんだよ。彼の家では代々素晴らしい脈診を引き継いでいてその7代目にあたる息子のサダナンダ先生もその才能をついで、脈でなんでもわかる人なんだよ。」といわれ、私は即座に「是非会いに行きます。」と答えていました。  
というのも私はその頃アトピーで悩んでいました。両親に聞くとその初めの症状は生後6ヶ月からあったということで、波はありますがそれがいままで30数年間続いていたのです。いくつもの病院に通い、たくさんの時間とお金を使いましたが、一時落ち着くことがあっても、結局しばらくするとまた再発してしまうのでした。ステロイドの怖さを聞いてから、私はここ5年ほどステロイドを使わず漢方を中心とした治療をしているお医者様を捜して通っていましたが、なかなかそれに見合った治療がなく困り果てているところでした。
特に人目に付く顔や首の症状が強く、塗る薬もなくかさかさして皮膚がぽろぽろはがれ落ちることが多く鏡を見るのは気の進まない毎日でした。外面と内面は別なもの、と思いながらいろいろと心に浮かぶものを見て気付けたことに感謝しながらも、体に関する不快感や手間を感じるとそれが省けたらどんなに楽かとも思いました。そんなとき精神的な面やスピリチャルな面でいつも力強く導いてくれるアサンガのかかりつけのお医者様と聞いて、これもなにかご縁をいただけたと思い、サダナンダ先生にお会いできる日がとても楽しみでした。
先生
  「治ります。それに原因は・・・」  
そして初めて先生に見ていただく朝、指示のあった通り、なにも食事を摂らずに訪ねた私を、先生は何も話さぬまま脈をとりました。そしておなかを押したり触診をしてから「こんなことはありませんか、こんなことはどうですか」といくつか質問を私にしました。
そして「これから言うアドバイスに従っていけば、あと半年か1年で治るでしょう。」と言うのでした。私は本当に驚きました。うれしいというより「えっ」という感じでその言葉を聞いていました。
(写真はサダナンダ先生)
今まで、どのお医者様からも「いつまでで治ります。」という期限を言われたことはありませんでした。
先生は続けて「あなたのこの症状の原因は×年前にある出来事があって、そのことによる精神的なショックからおきていますよ。なんのことだかあなたはわかりますね。」といわれました。その時すぐには何のことだかわからずしばらく考えていましたが、はっと気が付くことがありました。
ちょうど「自分の人生はもう終わった。」と思っていたことを私は忘れたかったのでしょう。記憶の奥底に隠しておいたようです。その時のショックをすっかり先生に指摘されるまですっかり忘れていたのです。でも体はとても正直で、今思えばその頃からアトピーの症状は以前と比べて徐々に、そして格段に悪くなっていたのです。それでも私は「これがなにか私に気付きを与えてくれる機会なんだ。」とどこか確信しているところがありました。それが何かなかなか気づくには時間がかかりましたが・・・。  

その時に先生から「あなたはパンチャカルマ(5つの治療法)の治療を受けることを勧めますよ。そうすればもっとよくなるでしょう。インドの気候のいい11月から2月の間にできればいらっしゃい。」と言われた時には、「ええ、是非行けるよう会社に掛け合ってみます。」と答えながらどうしたら休みが取れるか頭の中で算段を始めていました。  
またその際先生からいろいろな食事などの生活指導のアドバイスをいただき、それに従っての食事や生活をそれからするように努めました。すると少しずつですが体に変調があり、アトピーの症状も以前に比べると軽くなってきました。


体と心のクレンジング
 そしてこの1月、インド・ワゴリのサダナンダ先生の病院に2週間パンチャカルマのために入院する事になりました。                 
病院は、和尚のコミューンのあるプーナの市街地から車で40分ほどのところで、ワゴリの町からもさらに離れた静かな環境にありました。それは乾いた平らな土地にいくつか切り立つ高い丘(山)がある、まさに和尚の初期の講話集にある写真のようなインドの原風景といった感じでした。この土地を1969年に彼の父(マハラジ)の遺言により財団に寄付されてから、病院と大学を始めこれからアーユルヴェーダを中心にした様々な活動の中心にしてゆくプロジェクトが進められているということでした。このプロジェクトは、サダナンダ先生をはじめマハラジの弟子である人たちを含んだ7、8人のドクターでオーガナイズをしているのだそうです。  (写真は病院) 

そこでの2週間、病院と同じ敷地の中にあるサマディ(霊廟)に朝晩座り、地平線から昇る日の出を見て1日が始まり、地平線に沈む太陽を見て1日が終わるそんな毎日を過ごすことが出来、自然のリズムと共にゆったりとした自分の体が持っている本来のリズムを感じることが出来ました。

またマハラジュがなくなる前「私はここ(サマディ)に1000年間いる」といったそうで、とても瞑想をするにはよいところでした。そこのドクター達も働く人たちもとてもまじめで素朴な人たちで、私が行ったときは入院患者は私一人でしたが、外国人である私を温かく受け入れてくれたためリラックスして治療を受けることができました。
初日プーナでサダナンダ先生とお会いして脈診をしてもらうと「ずいぶん良くなりましたね、赤みも30〜40%引いてますよ。」と言われ、これから始まる治療を心待ちにしながらワゴリへと向かいました。
病院に着くとまず、はじめに先生から治療の方針の説明がありました。私の場合はオイルマッサージとシーロダーラ(額に温めたゴマ油を垂らして、緊張をとる治療)、スチームバスというスネハヌの処置をすると同時に、ギーという牛乳から作った純粋な油を少しずつ食欲の増減を見ながら量を増やして飲むという処置をとることになりました。それがある段階になったら、ウォーマヌという薬により嘔吐を起こす処置をする、とのことでした。これが今回の一番メインの処置ということでした。7,8回吐いて下痢も起きるだろうけど、それで体も溜まった感情もクリーンに出ていくだろうということでした。その後体力の回復をみながらスネハヌを続け、ラクタモクシャナという寫血を行うという説明がありました。  

「体も、溜まった感情もクリーンになるだろう。」 私は4年前にインドの覚者OSHO(和尚)に出会い瞑想を続けていましたので、彼の瞑想のテクニックのいくつかやボディワークで感情がリリースされ浄化されていくプロセスは知っていました。ただしそれはあくまでも瞑想の準備にしかすぎないのですが・・・ 和尚の話によると人間は7つの体から出来ているといいます。まず第1は肉体レベルの体。そしてエナジー体、メンタル体と続いていきますが、アーユルヴェーダはその5番目のレベルまで効くと聞いていましたが、本当なんだとその話を聞いたとき思いました。特に体のおなかの部分には怒りなどの感情が溜まりやすく病気を引き起こすともきいていましたから、今度の治療で嘔吐や下痢などですべてを出してしまうというのはとても合理的に思えました。

  前処置  
まず1日目は、オイルマッサージをうけスチームバスに入りました。そして次の日、朝1番にギーを飲みました。これは温めてあり、なにか薬草のようなものが入っていました。 「もし飲みにくかったらお湯を間に飲みながら、飲んでもいいですよ。」と先生にいわれましたが、私にはそんなに飲みにくいものではありませんでした。それからオイルマッサージとスチームバス、シーロダーラを1時間半くらいかけしました。
アユルベーダ治療
女性には女性の医者が処置をし、男性には男性の医者が処置をするそうで、私には20代の女性のお医者様が二人、担当医として治療をしてくれました。けれども私はここで出会った何人ものお医者様に片っ端からわからないことやアーユルヴェーダについて聞いていきましたので、私の得た知識は寄せ集めで正しい理解ができているか多少不安があります。そこは多少差し引いて読んで頂きたいと思います。
(写真は治療中の様子)
ところで、このオイルマッサージは日本でよくアーユルヴェーダの代表的な処置の一つとして紹介されているアビアンガですが、オイルを塗ることを主眼としてあり、マッサージをかねて力強く二人がかりでするものというイメージとはだいぶ違いました。  
次に行ったシーロダーラは仰向けに寝てあたためたゴマ油を銅の入れ物から額にゆっくりたらして、精神的なストレスによる緊張を和らげていく処置です。これはあとで知ったことですが、インドのいくつかの寺院では中に祭ってあるご神体のうえに銅の入れ物を吊し、そこから常に水を絶やさずたらし気性の激しい神を鎮めているところもあるそうです。それだけ精神や心を鎮めるには効き目のある方法としてインドでは昔から知られていたようです。シーロダーラの後、その油を使って頭皮をマッサージをして、「この油は明日までそのままにしておくように。もし気になるならタオルで拭くだけで頭をお湯で流してはだめですよ。」といわれました。そのあと「今日はおなかがすくまで休みなさい。体を冷やさないようにして、風にもあたらないように。だから外に出て歩くのもひかえなさい。」といわれ、ただひたすら休んだり(寝てはいけない)本を読んだりしていました。  

昼過ぎに回診があり、脈診をし血圧をはかり問診をし触診をしましたが、これがアーユルヴェーダの診断の方法だそうです。体の中に宇宙と同じものがあると考え、自然の中でできる植物や鉱物を使って治療するのがアーユルヴェーダで、ここでは薬の原材料をボンベイから仕入れ、この病院で調合して錠剤にする工場に出して作っているそうです。いずれはここで使う薬の原料も自分たちで作っていくことがプロジェクトに含まれているそうです。  

3日目から5日目まで同じ内容で、ギーを飲みオイルマッサージとスチームバス、シーロダーラのコースで行われました。但しギーは少しずつ量を増やしてあり、それに合わせおなかがすく時間が少しずつ遅くなっていきました。そして完全に胃がギーを消化するのを待ってから、食事をとるので4日目には昼食なしでも空腹を全く感じないほどになっていました。
そしてこの間お医者様からは何度も、げっぷの味は、とか大便の様子はとか聞かれ閉口しましたが、これは先生達にとって私の体の中で起こっていることのプロセスを知る大事な情報源だったようです。日頃そんなことを言わない、ましてや英語では言ったことのないことですから、適当な言葉を捜すのは結構大変でした。  

ここまでの治療は本当に穏やかで、なにもプッシュしないものでしたが、それでも体は少しだるくなったり頭が痛くなったりしました。そのたびに先生方に症状を伝えると、「この治療ではそういう症状が起きやすいからあまり刺激を受けないように外に出たりしないようにといっているんですよ。」とのことでした。そして体の外側からと内側から油を取ることで体の中にあるあらゆる管をスムーズにして(アーユルヴェーダでは目に見えない管が1万以上あると考えられている)次の処置で胃から吐いたり下痢をさせたりして見えるチューブの穴から全てきれいに体のアーマ(毒素)を出す。そういう準備のための処置を今しているという説明をドクターはしてくれました。
その時点で、少し顔の赤みは消えましたが、かゆみが残ったりしてアトピーの症状はまだありました。また、これだけ静かな環境にありながらも毎晩日本にいるときはそんなに見ない奇妙な夢をたくさん見て睡眠は充分にできないし、日中もあれこれ考えが浮かんでくるのがみえるのです。

そんななかで毎日一番の楽しみだった病院での食事はとてもおいしい菜食のものでしたが、これは全てお医者様が自らつくったメニューに合わせて作られていました。そのうえチャイ(インド風ミルクティ)の味が毎日違うので訊ねてみると「あなたの話を聞いて消化の具合などに合わせて、食堂に指示を出しているんですよ。」ということでした。本当に患者にあわせて何もかもが用意されていて、ありがたく感じました。

30年分が出た?!  
そしてヴォーマヌの前の晩、吐きやすいようにとバナナやヨーグルト、揚げ物など日頃はあまり食べないようにと指示されている物ばかりの夕食を取りました。そんな感じですから、私は少し緊張しながらその当日を迎えました。

起きてすぐドクターがやってきて、「今日の処置がスムーズになるから、これを飲みなさい。」となにか薬が混ざった温かいミルクを持ってきました。それからオイルマッサージとスチームバスを受け終わり部屋で待っていると、神様の絵姿がかかれたものをドクターが持ってきて私の机の上に飾りました。聞くとこれはアーユルヴェーダの神様で今日の処置は大変重要なものなので、うまく行くように祈りを捧げるのだという事で、お香がその前に捧げられました。私は心の中で、「今日の処置が完全なものでありますように。」と祈っていました。

それが終わると私はドクターたちと、椅子と大きな盥が用意されたバスルームに向かいました。そばには薬の液体がたくさん入った大きなバケツとコップが数個あり、私が椅子に座るとドクター達は次々とその液体が入ったコップを渡して「ほら、飲んで」「ゴクゴクと、ビールみたいに飲んで」といわれました。でもその液体は私にとっては苦くとても飲みにくいものでした。
3杯飲みおわると、初めの吐き気がやってきました。吐きおわるとまた、「さあ、飲んで」とはじまります。これは飲んで時間をおくことで、、ただ吐く為にのみこの液体を飲み、胃に吸収されるのはよくないというのです。さらに2回吐いた後、「どう、吐いた後どんな味がする?Acidかしら。」といわれ、私はその時acidの意味を苦いだと思い、「ええ、そういう味がするわ」と答えました。「じゃあ、これで終わりだわ。これが大事なサインなのよ。」といわれました。でも私はまだ胃の中になにかあるようなすっきりしない感じがしたので、acidの意味を勘違いしたのではないかとあわてて辞書を引きました。するとacid=酸っぱいとあるではないですか。どうしよう、と思っているとサダナンダ先生がやってきて他の先生から様子を聞き、「それじゃ、もう一度。」というのです。やっぱり終わっていなかったようで、さらにあと3杯飲んで吐いてを2回繰り返しました。すると最後にドロッとしたものが吐いたものに混ざって出てきて、「これで、おわりだよ」といわれました。

後から聞くと個人差があるようで普通はもう少し短いそうですが、私の場合このあとしばらく吐き気が止まらず大変でした。同時に下痢もおきたのですが体力が著しく落ちてしまったので、トイレに自力で行くことも出来ずおまるをもってきてもらう始末でした。ドクター達は私が吐くたび、吐いたものが入ったバケツをのぞいていましたが、何度か水っぽいものを吐いたあと、吐いたものにしばらくすると透明の暗い黄色をしたヌルッとした固まりが混ざり始めました。「これがピッタだよ。よくやったね。」「30年近く貯めてたのが出たんだよ、よかったね。」とそれを見たドクターにいわれました。ピッタって見えるんだ、とびっくりしました。
次の日になって体がすっきりしてそれまで詰まっていた鼻も通っていて、腰の痛みもなくなり、体の中に大きな管が通っているのを実感しました。またおなかはからっぽだけど別のエナジーを体の中に感じました。顔はその時はまだカサカサしていたけれど体の皮膚はいままでより気持ちしっとりしているようでした。

それから7日目と8日目の2日間はまだおなかの調子も落ち着いていないのでライスウォーター(おかゆの上澄み)やスープといった流動食を食べ体力の回復を待ちました。
サダナンダ先生から話を聞くと、先生自身も先生の奥様もこのヴォーマヌの処置をしたことがあり「その効果は実証済みだよ。」ということでした。

心の変化  
9日目からまたオイルマッサージとシーロダーラを再開しました。そのあとしばらくしてからラクタモクシャナをうけました。これはベッドに寝て右の内肘から注射器を使って血液を抜く処置でした。昔はヒルを使ったりした、と聞いていたので「なにか虫か小さな動物を使うんでしょう?」と先生に質問して、「今は、そんなことしませんよ。」という答えを聞いて、思わずほっとする一場面もありました。
右肘は肝臓に直接つながっていると考えられていて、そこから不純な(汚い)血液を人により20ccから500cc抜いて、新しい純粋な血液を作りやすくするためにおこなうそうです。献血との違いをなかなか理解できなかった私は何度もドクターに質問をしたところ、「献血前にはオイルマッサージやシーロダーラをしないでしょ。それをすることで、不純な血液がでてくるのよ。」という答えがかえってきました。

この日からドクター達が「ずいぶん良くなってきたね。顔の赤みはひいてるし、皮膚がとってもきれいだよ。」と声をかけてくれるようになりました。たしかにポロポロむけていた皮膚はおさまり、私は体が自分できちんと働き始めたように感じていました。けれどもまだその時点では、私は自分の体の状態の変化を「今日も大丈夫ね、今日もOKね」とおそるおそる見ているというところでした。ただし朝晩サマディに座っていると少しずつ静かな自分を取り戻せているようなで、そのたびに感謝を感じました。またこのころから少しずつ明るくオープンになっている自分にも気が付きました。ドクター達や働いている人たちと話をするのが楽しくて、いろいろな形で交流をはかりました。

ここではみんなそれぞれが急がず心を失わず働いて、話して、笑って、歌って、怒鳴っている。子供が大人の間を走り、牛が草をはみ、昼間の暑い時間を避けて働く、そんな彼らと一緒に過ごしていると日本での自分の生活を反省させられました。
またここでは誰とでも神や瞑想の話ができる豊かな土壌としっかりした土台があり、教えられたり自分を省みる機会をたくさんもらいました。
(写真はサマーディ)
体と感情、マインドの浄化も  
11日目にはサダナンダ先生の奥様が「患者さんの肌の調子がすごく良くなって、美しくなったって聞いたから、自分の目で見ようときたんですよ。」とわざわざプーナから40分かけて病院まで私に会いに来てくれました。
そのときには、朝晩もらったオイル状の薬を塗るだけでしたが、たまに体はかゆくなることがあっても一番症状がひどかった顔や首はすっかりよくなっていました。またドクター達にいろいろ聞いて、私に起きていたことの原因大部分は食生活にあったということもわかってきました。いろいろと私にとって良いものと避けた方がよいものを教えてもらいました。

オイルマッサージとシーロダーラをうけながら13日目にもう一度ラクタモクシャナを今度は左内肘からしました。こちら側は脾臓につながっていると考えられているそうです。そして最後の日オイルマッサージとシーロダーラを受け全ての治療は終了しました。けれどもサダナンダ先生と最後にお話しすると「これから15日間くらいはここにいるときと同じような体を休める生活をしなければなりませんよ、あなたの体はまだ本調子じゃないんだから。」それから完全に元の調子に戻るのは1〜2ヶ月後だろうともいわれました。
最後に見送りに来てくれたサダナンダ先生に、そしてこんなに静かな土地での生活をしながらも、毎晩奇妙な夢を見てなかなかよく眠れないことを話すと、「それはリリースですね。良い印ですよ。」と私の師アサンガと口をそろえて言うではありませんか。頭の中がうるさくてしょうがなかったけれども、これもまたアーユルヴェーダの治療が肉体ではない別のボディに進んでいる証拠だったようです。これもしばらく続くだろうということでしたが、日本に帰って数日で夢は終わりました。
本当に肉体だけでなく、体に影響していた感情やマインドが解放されてゆき、浄化されていくことをその時実感しました。 真剣に求めている人には、全て必要なものが与えられるといいますが、このアーユルヴェーダの治療を通し本当にその通りだと実感しました。

今は治療を終えて1ヶ月ほど経ちました。まだ体力は十分回復していませんがずいぶん健康になりました。また、たまに夢を見続ける事がありますので、まだまだリリースは進行中と言うところでしょうか。
先日は、自分のことを「アトピーだった」と過去のこととして言うようになっている自分をみつけました。健康な人たちには当たり前のことでしょうが、なにも体のことを気遣わなくて良いことが今の私にはとてもありがたいことです。
「毎日少しずつ体に良くないものを貯めてしまうから、本当は毎年1回パンチャカルマを受けると病気知らずでいられるんだよ。」とドクター達からいわれましたが、今はまずアドバイスを守り体に良くないものをとらないようにしていきたいと思っています。
また同様に心や精神のためにも瞑想は不可欠だと再認識し、体だけではなく心にも何も貯めないで行く努力を続けていこうと思っています。

このようなチャンスを与えてくれた存在に感謝すると共に、サダナンダ先生を紹介してくれたアサンガ、そしてサダナンダ先生をはじめ誠意をもって治療に係わってくれた全て人に感謝します。