「自分自身でいる」ということ

「自分自身でいなさい」・・
拙僧にとっては、師である和尚がくれた黄金の言葉です・・。

自分自身でいる・・ありのままの自分を許し、ゆったりと自然でいる・・
流れる河のような「生」に身を委ねていると、「生」はそれ自身の形を創造しながら、至福と平安をもたらしていく・・。
とてもシンプルなことですが、私たち現代人の多くは、この「起こること」を楽しむということを否定され、何かに追い立てられるように「行動し何かを得る」という強迫観念のようなものに支配されているようです。
至福と平安の源泉とも言うべき、自分の内なるスペースを見ないために、多くの錯覚や混乱、他人の意見や評価などの”餌食”となり、自分は本当は何を求め、何がしたいのかということすら解らないまま、夢遊病者のように生きているように見えます・・。

本当は何がしたいのか・・?自分自身の「内側の声」に尋ねてみれば分かります。
ただ平安なそのスペースにいて、ただ自分自身でいる・・途方もない智慧がそこにあります・・途方もないよろこびが其処にあります・・
平穏で平安で限りない静けさ・・其処に目を向けたなら、あらゆる場面のあらゆる事柄の「答え」が其処にあるでしょう・・。

アメリカとイラクの戦争が勃発しました・・。
戦争をしたいのかしたくないのか・・人を殺したいのかしたくないのか・・殺されたいのか殺されたくないのか・・こんな種類の問いにはわざわざ、「内側」に聴いてみるまでもないかもしれません・・。
「ただ自分自身でいる」・・こんな簡単なシンプルなことだけで戦争は終わってしまうでしょう・・
ちょっとした勇気だけが必要なだけです。

しかしながら、政治や宗教や教育などが語っている「あなたは今のままではいけない、なにか他人から尊敬されるような立派なものにならなければならない」というような観念や、望んではいなくても社会や他人に合わせていかないとお金や信用を得ることが出来なくなって生活できない・・または、みんな周りの人は頑張っているようなのに、自分だけ怠けていてはいけない、みんなに乗り遅れる等々・・の「考え」「不安」「恐怖」・・いわゆる「強迫観念」が「自分自身でいる」ことを妨げているように見えます。
そして、「夢の中」にいる私たちにとって、この「強迫観念」はとても堅固なもののように思われ、あたかも「運命づけられている」かの如くに重く私たちにのしかかっているかのようです。
兎にも角にも、我々は、自分に対する「他人の評価」「社会の評価」に依存してこの社会生活なるものを送っているという現状がここにあるというわけです。

従って、自分の幸せは他人次第・・自分の手の内にはないということです。こんな案配ですから、少し小狡い、所謂「頭の良い」政治家や既得権益を持つ人たちの思う壺で、「うまい具合」にコントロールしやすい状態を作られてしまっているという事実があります。

先日、戦争関連の報道を見ていたら、前線に送られた兵士が「戦争なんかしたくない、でもどうしようもないんだ」とか「人を殺したり、攻撃を受けたりするのも怖くて仕方がない」などというインタビューがありました。そうでしょう・・あたりまえのことです・・誰だって戦争なんかしたくないんです。でも今彼らが兵士の任務を止めてしまったら、国賊だの裏切り者だの散々避難されたりして、その社会的地位などを失ってしまうかもしれません。

でも・・少し勇気を出して「自分自身でいること」が出来たとしたら、「自分の内なる声」に従ったとしたら・・彼は即座に戦うことを止めるでしょう・・
これが多くの兵士達に起こったとしたなら・・戦争は終わってしまいます。実に簡単なことです・・!
兵士達がいなくなってしまう訳ですから・・ね!
実際戦っているのは他ならぬ彼ら兵士です。戦争をしたがっている当の本人は、いつも戦わないで命令を下している方の人達です。

そう、本当に戦争したい人は、実際に戦場に出たことはない・・・・。
まあ、戦争をしたいと思う人は、決して自分が戦場に出ることは無いと思っているから「戦争しよう」なんて考えることが出来るのかも知れません・・。
少し気が変になってしまっている彼らは実際に戦場に立ち、武器を取り、一度でも戦ってみる必要があるかも知れません・・それがどんなものなのか・・彼らにも少しは解るかも知れません・・。

支配者と呼ばれる政治家や金持ち達の所謂、既得権益を手にしている人は、それらを守り、金や名誉や力の誇示をさらに続けたいという欲求があり、定期的に戦争をしなければならない必要を感じているかも知れません。実は彼らも「至福」を求めてはいるのですが、彼ら自身、自分が何を求めているのかさえ解らず、金や権力や名誉をさらに手に入れれば、自分の何か解らない内側の「渇き」が潤されるのではと勘違いしているに過ぎないとも言えます。

また、民衆の方も自分自身でいることの素晴らしさを忘れ、「他人まかせの幸せ」を求め、それを手に入れたり失ったりしながら、本当に求めている「幸せ」「喜び」を得られない・・、そして「支配者」同様、自分が何を求めているかも解らず、もしかしたらいつか努力をして「支配者側」に成れる日が来れば、「幸せ」を得ることが出来るのでは・・等と考え、自分を押し殺し、無意味な奮闘努力をしたり・・。
結局、「自分自身」でいられない欲求不満を溜めに溜め、「本当にやりたいこと」をやれないストレスを蓄積し、「不満」、「怒り」や「憎しみ」の固まりのような潜在意識を抱えて、爆発する場所を求めているという側面もあります。

だから必然的に人間は(支配者も民衆も)、大義名分を作り、「正義のため」とかなんとか理由を付けて大っぴらに暴力をふるえる場面・・「戦争」を作っているとも言えるのですが・・。

他人から尊敬されようとすることを捨て、社会の自分に対する評価など全く気にせず・・自分自身でいる・・こんな本当にシンプルなこと・・実はこれは大変な途方もない意識の「革命」・・人間を真に進化、変容させてしまうキーワードかも知れません・・

私たちの本当の姿・・それは静寂と平安に満ち足りた、尽きることのない創造性の源泉・・「仏性(神性)」そのものです。
「自分自身でいること」は正にその仏性でいることに他ならないのですから・・



HOME