観照の話

このサイトでたびたび登場してくる「観照」という言葉・・、果たしてどういうものなのか、少しばかり書いてみます。
「我が師和尚と瞑想のページ」で紹介したように、ただ自分の体、心、感情や周りに起こってくる物事を、善悪や好悪の判断を持ち込まずに、ただひたすら、あるがままに観る(見る)ということ・・。
まあ、言ってみればこれだけのことなんですが、これを続けていくと、今まで見ていたのはそれらの対象(体、心、感情、物事)だったのが、ある日突然、それらを見ている側の方を「観る」ということになります。
これは、体験してみないと解りませんが、観ている方の「これ」は、果たしてなにか・・。
それは、まさに「空(くう)」とか「無」とか呼ばれる、私たちの生命の本体・・それそのものを「観る」ということになるわけです。
そして、それを味わうとき、なにものにも左右されることのない、本来の自分自身の存在を感得する・・。
「幸福」や「不幸」、「好き」や「嫌い」、等々の想念、感情に影響を一切受けない、「絶対なるもの」・・これを体験することになります。
これは大空が「雨」や「曇り」、「夕焼け」や「嵐」等の現象に一切影響を受けないように、ただ今此処に存在しています。
決して失われることのない、永遠なるもの・・それがこの「空」と呼ばれるものです。

この本当の自分を体験するメソッド(方法)がこの「観照」と呼ばれるブッダ(目覚めし者)の智慧です。拙僧はこれを師である、和尚から聴き、これを実験し、体験をしてきました。
これらの体験は、拙僧の存在を根底から変えてしまいました・・。
何の理由もなしに、ただうれしい・・たのしい・・ありがたい・・、そんな「生」を生きています。
体験の一端は、このサイトにもいくつか書いてみましたが、興味のある方は、そんなものを読むよりも(笑)、実際にこの「観照」というものを実験して頂きたいものだと思います。
不安や恐怖に晒された現代、忘れてしまった本当の「自分」を思い出し、本当に安らぎ、くつろぐ事のできる有効な手段として、この「観照」というものをお勧めする次第です。

この「観照」ということに興味のある方、もっと詳しく知りたい方は、和尚のHPをご覧になるなり、必要であれば、セッションもいたします。また、メールでのお問い合わせも受け付けております。
        合掌

 

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